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羽鳥のおはなしはとりのおはなし

 羽鳥の地名の由来には、いくつかの説があり、大昔に住んでいた「はた織」をする一族ハトリベからきたもの、また鶴が飛来していたことから名づけられたものなどがある。
 この地は4割が水田であったそうだが、今は住宅街に変わり、その面影はない。
 また羽鳥の北部には、東海道が東西にはしっているが、その昔は大山行者の往来でにぎわっていた。ところが行者達は村の子供たちにお金をまき与えたりしたので、教育上好ましくない状況もおきた。それを憂えた村名主の三觜八郎右衛門は、教育向上のため、明治5年に東京の学者 小笠原東陽を招き、読書院を開いた。
 その後、耕余塾と名が改められたが、耕余塾の評判は高く、やがて神奈川の教育の中心ともなり、かつての総理大臣 吉田茂もこの塾で学んだという。
 耕余塾は、中学校が普及してきたことなどから明治30年に廃塾となったが、その跡には小笠原東陽の碑が墓地に囲まれてひっそりと立っている。
閉校後の耕余塾校門
閉校後の耕余塾校門
 **昭和20年代後半頃**
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