鵠沼のおはなし その1

 鵠沼の鵠(クグヒ)は白鳥の古名であり、ククヒヌマが訛ってクゲヌマと呼ばれるようになったといわれ、古い記録では平安時代にはその名が登場している。

 明治時代初期までの鵠沼は、松林と白砂、湿地の続く原野であり、江戸時代には砥上ガ原(とがみがはら、のちの石上)と呼ばれ、その中で人々は半農半漁の生活を送っていた。

 この静かな地が一躍、別荘地、海水浴場として注目を集めるようになったのは、ドイツ人医師ベルツ博士が海水を調査し、海水浴場としての適性を高く評価してからである。ベルツ博士は調査の中で片瀬を推薦しているが、風光明媚、気候温暖な鵠沼海岸でも、人々は海水浴を楽しむようになった。徳冨蘆花(1868年 明治元~1927年 昭和2)の『おもひ出の記』(明治33 発表)に、明治20年代初めの海や景色など、この地の様子が描かれている。

鵠沼のおはなし その1

海水浴客を迎える看板
 **昭和7年**