稚児が淵のおはなし
昔、鎌倉建長寺広徳院に自休蔵主という僧侶がいました。ある日、自休は江の島へ百日詣に出かけ、同じく江の島へ詣でていた、鎌倉鶴岡相承院で学問を学んでいる白菊という稚児に出会いました。自休はその日から白菊のことが頭から離れず、思いを込めた便りを幾度となく白菊に送りましたが、返事はありませんでした。思いを募らせる自休に白菊は追い込まれ、瀬戸際に立たされました。
ある夜、白菊は江の島へ渡り、扇子に歌を書いて島の渡し守に渡し、私を訪ねる者がいたらこれを見せてください、と言い残して淵から身を投じました。
白菊を訪ねた自休がこの扇子を開いてみると「白菊を忍ぶ里の人とはば 思い入り江の島とこたへよ」「うきことを 思い入り江の島かげに すてる命は波の下草」とありました。これを見た自休は「白菊の 花のなさけのふかき海に ともに入り江の島ぞうれしき」と残し、白菊のあとを追ったといいます。
この地には、大正初期まで白菊の碑があったといいます。
江の島(南側)
**昭和45年頃**