鵠沼のおはなし その2
鵠沼は、北に皇大神社があり、南は相模湾、東は境川、西は引地川に面している。
北側の農村部では主に、米や麦、大豆、小豆、サツマイモが作られ、桃畑もあったという。また松林には野ウサギが生息し、松露や初茸が採れたといわれている。
一方、南側の相模湾では漁が行われ、境川ではシジミやうなぎが獲れるなど半農半漁の生活であった。
鵠沼海岸から茅ヶ崎海岸までは、江戸時代に幕府の鉄砲場が設置され、大砲の訓練が行われていた。
明治時代になると、鵠沼には日本最古といわれる大磯に続いて海水浴場ができ、明治20年頃からは保養所や別荘地として開発され、芥川龍之介をはじめとする小説家や芸術家が訪れるようになった。
明治35年に江ノ電が開通、さらに昭和にはいると小田急江ノ島線が開通し、海岸には鉄道省海の家ができ、湘南海岸道路(当時の湘南遊歩道路)の片瀬-大磯間が開通、観光地としても発展していった。
空から見た鵠沼
**昭和45年頃**