六会のおはなし

 亀井野(かめいの)村、今田(いまだ)村、下土棚(しもつちだな)村、円行(えんぎょう)村、石川村、西俣野(にしまたの)村の境川沿いの地域は集落として早くから開け、平安時代末期に大庭御厨(おおばみくりや)が置かれた。江戸時代には亀井野・今田・円行・石川・西俣野は藤沢宿の、下土棚は戸塚宿の助郷役(宿駅の人馬不足の補充)をつとめた。

 今田はその昔、亀井野と同じ村であったといわれている。また円行の地名は、以前あった円行寺によるものとされ、境川の東西にある俣野の地名は、川をまたいでいることによる説や領主の名前(俣野五郎景久)からの説などがある。

 明治21年町村制の施行により六つの村は六会(むつあい)村として一つになり、昭和4年の小田急電鉄開通により六会駅(現六会日大前駅)が開設。当時は数件の人家が点在する閑散とした農村地帯であった。昭和16年日本大学農獣医学部(現生物資源科学部)と附属高校が開校し、昭和17年3月10日藤沢市に合併した。

六会のおはなし

空から見た六会駅(現六会日大前駅)と国道467号線
江の島方面を望む
 **昭和45年**