渡内のおはなし その2

「相中留恩記略」巻18より  左の図中央が「村岡山王社(今の日枝神社=別称 山王社)」。
中央の図上部「壺井三社大権現」。中央の図下「左平太宅」は名主家。

徳川家康を祀った地 壺井三社大権現(つぼいさんじゃだいごんげん)の跡

 天正十八年(一五九〇)小田原北条氏の滅亡後、関東地方は徳川家康の支配下に置かれました。

 新たな領主となった家康が村岡から玉縄(たまなわ=鎌倉市)のあたりを巡見した時、渡内(わたうち)の福原孫十郎が案内を務めたと伝えられています。家康は孫十郎の家に立ち寄り、峯(みね)という山に登って玉縄城(たまなわじょう=鎌倉市城廻(しろめぐり))を遠望したそうです。

 峯というのはこのあたりの地名で、福原家はのちに峯渡内村の名主(なぬし)を務めました。

 このような由緒から、元和八年(一六二二)孫十郎の子新兵衛によって家康の分霊が祀られたのがこの場所で、以前はここに壺井三社大権現という石の祠(ほこら)がありました。

 壺井三社大権現というのは、平安時代の源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)父子の二人に加え、その子孫に当たる家康の三人(三社)を神(大権現)として祀ったものです。また、壺井とは、河内源氏(かわちげんじ)の祖として頼義・義家を祀る壺井宮(大阪府羽曳野市=はびきのし)に由来する名称と考えられます。

 この石の祠は平成二十年(二〇〇八)の区画整理事業に伴い、現在は日枝神社(ひえじんじゃ)境内に移されています。