大鋸(だいぎり)
棟梁を務めた森家を中心とする、遊行寺や小田原城、玉縄城を造った職人「藤沢大鋸引(おおがひき)」たちが住んでいたといわれる。
藤沢御殿
1590年(天正18)、北条氏を滅ぼした秀吉は天下統一を成し遂げ、徳川家康を関東に移封(いほう)する。秘かに野心を抱く家康は鷹狩りという名目で関東各地を巡察した。
当時はまだ宿場も整っておらず、家康は当初、各地区の土豪の家や寺院を休憩、宿泊に使った。のちに家康は将軍専用の「お茶屋」や「御殿」を設置したが、相模国内はお茶屋4ヵ所、御殿5ヵ所が置かれた。
徳川家康が休泊した藤沢御殿は、鷹狩りのときだけではなく、関ケ原の戦いや、大阪冬の陣、夏の陣に向かうとき、あるいは上洛の途中にも、家康、秀忠、家光などによって利用された。
御殿は妙善寺から藤沢公民館にかけての敷地、東西106間(約193m)、南北62間(約113m)という広大なものからなり、現在の日枝神社のところに御座所と呼ばれる寝所があった。